KPの歴史②中国への進出「風雲編」
広東省の順徳に工場を持つことができたまでは良かったのですが、それからが山あり谷ありでした。稼働三年目に早くも工場土地の賃借料値上げ要求が!「この調子で値上げ要求をされてはたまらない!」と思い、十年契約を提案しましたが、三年でないと出来ないと言われてしまいました。
そして、次の三年目にはしっかり値上げされてしまいました。また、その地域のお役人が時々工場にやって来ては〇〇を要求するのです。違う役人が来るたびに〇〇を要求されるのには参りました…。そんなことがあったので、他に工場を探し出しました。そして東莞という所に新工場を作る計画がスタートしました。
順徳から東莞までは、当時は車で6~7時間かかりました。舗装していない凸凹道、穴だらけのコンクリート道を車で飛ばして行くもんですから、一日に3回もパンクしたことがありました。雨の後はタイヤをとられて動けなくなることもしばしばでした。
そこで悪路に対抗するため、日本製のパジェロを買いました。なんと!その時買ったパジェロが今でも東莞工場で走っているそうです!20年以上も働いてくれてありがとう。いったい何キロ走ってるんだ!?メイド・イン・ジャパンはすごいですね!
"こんなの作ってみた"コーナー
フロック生地で作ったハット。全面にパイルを植毛し色合いも相まってスウェードのような質感になっています。